2001年、フィリピン国家統計局は国内の5歳から17歳の児童のうち16・2%(4百万人)が働いていると推定していた。調査の結果、国内の2490万人の5歳から17歳の児童が危険な状況で労働していることが判明した。 働く児童の約半分の190万人が、10歳から14歳であった。 児童労働は農村部で更にまん延している。児童労働者の約半数は農業に従事しており、そのほかの子どもたちはカジュアル靴の製造、麻薬密輸、花火製造、遠洋漁業、鉱山業、採石業に従事している。 路上生活をする児童らは、非公式労働活動、つまりごみあさりや物乞いに従事している。 家事労働に従事する子どもたちもいれば、ポルノ写真の撮影や、セックス目的の観光客による性的搾取など商業的な性的産業に巻き込まれる子どももいる。 子どもたちが商業的性的搾取や労働の目的で、国内で人身売買されていると報告されている。 政府軍部内での児童兵士の報告はないが、18歳以下の子どもたちが民兵組織やモロ・イスラム解放戦線、アブサヤフ、 新人民軍兵士といった反政府武装組織の兵士として使われている。 フィリピン憲法では子どもたちの6年間の初等教育を義務付けており、共和国法第6655号は無料の中等教育を提供している。2001年に制定された教育基本法(共和国法第9155号)により、文部省が正式に組織され、国、地域、地方における当局の役割と責任の概要がまとめられた。 基本法はまた、制度導入拡大により、地方における教育の向上を目指している。 初等・中等学校は無料であるが、関連する費用、例えば通学費や学用品などは家族が負担しなければならない。 2000年には、初等学校総就学率は112.6%となった。2000年の正式な初等学校就学率は92.7%であり、女子が93.4%であったのに対し男子は92.1%で あった。1999年の初等学校就学率は約86%であった。就学児童の多くは一年を通いきることができず、2000年に学年を修了した児童は67.1%であった。出典:国際労働局(米国)
ローランと(16歳)と弟ロデル(14歳)の場合 オロンガポ市
ペソ(1ペソ=約2.6円)
マレー系が多く、ほかに中国系やスペイン系、またこれらの人種の混血に加え、少数民族が存在しています。
近年経済状況は徐々に上昇をしているとはいえ、財政赤字や多国籍企業の進出による低賃金労働などの問題を抱えています。失業率も1割を超えていて、貧困で生活するのさえ困難な家庭を助けるために児童労働が後を絶えず、悪循環から逃れられない現状です。そんな中、国の経済を支えているのは、フィリピン人1割に相当する800万人もの海外への出稼ぎ労働者の送金といえます。 日本は表向きの政策や外交でイメージをあげ、その裏では自国の利益が優先されています。その結果、借金返済がフィリピンの財政赤字を促(うなが)し、貧困層をふやし、その原因の一端を日本は担っているといわれています。今後の国際協力のあり方を日本は問われているのです。
総人口の40%弱を占める4億人が18歳未満、つまり子ども。インドは、子ども人口が世界で最も多い国です。 ●生まれた赤ちゃん1,000人のうち、70人が1歳の誕生日を、95人が5歳の誕生日を迎えることができません。 ●生まれた赤ちゃんの約35%しか出生登録されていません。 ●約50%以上の子どもが、栄養失調です。 ●法律では、6〜14歳までの全ての子どもは、無償義務教育の権利があるとうたっていますが、実際にはそれらの子どもの約50%は学校に通っていません。 ●小学校1学年に入学した子どものうち、男の子の約50%、女の子の約58%が、5学年になるまでにドロップアウトしてしまいます。 ●小学校1学年に入学した子どものうち、3分の1しか8学年に在学していません。 ●子ども人口のうち、男の子1,000人に対し、女の子は927人。死亡した女の子の6人のうち1人は、性的差別によるものです。 ●4人に1人の女の子が、4歳になるまでに性的虐待を受けています。 ●法律で禁止されているにもかかわらず、女の子の約50%が、18歳未満で結婚しています。 ●政府による統計では働く子どもは1,700万人。実際には約1億人いると言われています。 ●児童労働者の約80%が、農業の仕事に従事。 ●商業的性的搾取労働に従事している子ども約200万人が5〜15歳、約330万人が15〜18歳です。
ルピー(Rs)とパイサ(P)1ルピー約2.4円
人種
ヒンドュー教81.3%、イスラム教12%、キリスト教2.3%、シィーク教1.9%、仏教・ジャイナ教その他宗教は2.5%
インドの教育システムは連邦、州、地区などの管理下によって違ったルールがあるため、インドの学校制度を一言でいうことは難しいのですが、基本的には、8年間の初等教育(小学校5年+中学校3年)、4年間の中等教育(高等学校2年+上級高等学校2年)、3〜4年の高等教育(一般大学3年、医科・工科大学4年)という制度をとっています。また、インターナショナル・スクールや、イギリス植民地時代のボーディング・スクール(全寮制の学校)も独自の教育システムを持っています。とはいえ、いずれの学校にも共通しているのは、初等・中等教育あわせて12年間ということです。 インドでは10年生と12年生のときに全国共通試験があり、この試験の成績によって上級学校への振り分けが行われるため、エリートへの道を目指す学生は必死で勉強をしているようです。学歴競争社会の一面もあるインドの教育事情です。
アシクルが生まれる6ヶ月前に彼の父親は亡くなり、母親はアシクルがおなかにいるときから物乞いをして生きていくしかありませんでした。アシクルが4歳の時に母親も亡くなってしまいました。それからは、母方のおばあちゃんと一緒にアシクルは再び物乞いのため通りに立ちました。今までしてきたのと同じように、手を差し出し、数ルピー(1ルピー=2,5円)のために人々にうったえかけました。こうして半年間おばあちゃんと暮らしましたが、突然おばあちゃんからこれ以上面倒を見れないと追い出されてしまいました。アシクルは食べ物と休む場所を探して、路上をあてもなく歩き回るしかありませんでした。 その頃、アシクルの兄のアファダル・イスラム(12歳)は革製かばんをつくる工場で、住み込みで働いていました。彼は行くあてのないアシクルを工場に連れてきました。いくら兄が働いているところだとは言え、仕事をしなければ食事にはありつけず、寝る場所もありませんでした。アシクルは革をゴムのりでくっつける仕事をし、アファダルは重いハンマーでくっつける作業をしていました。休みはなく、へまをすればその分給料から差し引かれ何ももらえない時もありました。ビジネスはビジネスと、4歳半のアシクルであっても容赦はされずに、とうとうミスが続くアシクルの面倒をこれ以上見れないと兄は怒り、弟を追い出してしまいました。 路上に戻るのはこれで3度目になったアシクルは、再び物乞いをしましたが今度は一人でした。1ヶ月近く物乞いをして過ごしましたが、その後、紅茶の屋台店で働かしてほしいと頼み許されました。報酬はお金ではなく1日2回の食事のみでしたが、がんばって仕事を覚えて徐々に仕事は上達しました。しばらく働きましたが、紅茶店はやめて今度はお菓子屋で働くことにしました。夜になると空腹で辛いときもありましたが、寝る場所はありました。 アシクルは成長し、再び皮製かばんを作る作業所に戻りました。そして、アシクルは革鞄の工場で働いていたところを救助されました。今はCCDに保護されて、マクタニアで過ごしています。
彼の父親は、麻薬中毒のため、自分の責任を放棄して、子どもが産まれる前に母親を捨ててしまいました。そして彼は、4歳のときに母親を亡くしたため、すぐに過酷な状況に陥りました。 ある日、叔父が彼を助けにやってきてくれました。しかし、叔父にとって彼はやっかいな荷物でした。というのも、日雇い労働者でしかない叔父の稼ぎはあまりにも少なかったからです。彼がこの家にいた時間はほんのわずかでした。スージャンは次に、父方のおばの家に行くことになりました。結婚して2人の子どもをもうけていたこのおばは、喜んで家を提供してくれました。彼女のふたりの子どもは学校に通っていたのに、スージャンには教育は与えられず、彼は結局すぐに見捨てられてしまいました。 彼は、路上で生活していました。そこを2002年8月、CCDの人が、スージャンをマクタニアスクールに連れて行きました。彼の態度は横柄で、誰の言うことにも耳を傾けようとしませんでした。彼がごく普通の子ども時代を取り戻すためのカウンセリングには、6ヶ月の時間を要しました。今では、スージャンは学校に通い、将来についても夢見ていることがあります。スージャンは、小学4年生のクラスで勉強しています。
1994年5月13日生まれサイフル・モンダル(写真の真ん中の子) サイフルの父親は、結核でサイフルが3歳のときに亡くなり、母親は精神病を患っています。彼には2人の姉と1人の兄がいて、お姉さんの一人は誘拐されたといわれています。居場所は分からないままです。 サイフルは幼い時から畑で多くを過ごしていました。固い土のかたまりをレンガを使って砕く作業をしていました。夜明けから日暮れまで働いて、1日に手にするお金は15円だけでした。この仕事は季節労働だったので、1年に30日ほどしか仕事が無い状態でした。 そこでサイフルは別の仕事、ヤギ飼いの仕事も日の出から日没までしていました。もし1頭でもヤギがいなくなったら、オーナーからひどい体罰を受け、食事を与えられることもありませんでした。 現在、彼の母親と兄は村で生活をしていて、CCDでは彼の家族が食べていけるよう2頭のヤギを家族に提供しました。今はヤギのオーナーとなってヤギを管理するようになったサイフルの家族は、収入が少しは安定するようになりました。今、サイフルは小学5年生のクラスで勉強をしていて、彼の夢はカメラマンになることです。
モンゴルの5歳〜17歳の6万8580人の子どもが経済活動に従事しており、それは子ども全体の 人口の約10.1%にあたります。鉱山での仕事、家畜の 世話、市場での仕事、家事労働、性産業などで、児童労働が多く見られます。 また、人身売買などの子ども 取引の被害も報告されています。 子どもたちが働く要因としては、親(保護者)の雇用状況が大きく関わっています。たとえば、現在働く子どもの30%の両親、37%の片親が経済活動していない(仕事を持っていない)状況があり、子どもの労働を始める主な要因であることがわかりました。子どもの48%は自己選択、25%は母親、13%は友人、5%は仲介人の提案により労働を始めたとされています。彼らの60%は小売(移動販売)手押し車による荷物の運搬、新聞販売等を主におこなっています。また、高収入源であれば仕事の危険性や職場環境を問わず仕事を受け取って働くことが多いことが調べによって明らかになりました。
2005年度に行った調査及び分布分析法を使った推定によるとウランバートル市の非公認セクターで働く子ども(7歳〜17歳)はおよそ4,900人と報告されました。全体の76%はバヤンズルフ、ソンギノハイルハン地区に居住していることが判明しました。また、子どものわずか6%がアパートに住み、92%はゲル地区に住んでいます。つまり、貧困層が住む地域に偏りがあることがわかります。 ●年齢や性別: 全4,900人のうち - 4%は7-10歳 - 49%は11-14歳 - 47%は15-17歳が占める。 こうした児童労働者の63%は男の子 ●生活状況 働く子どもの99%は家庭に、1%に満たない部分は家庭以外に住んでいます。69%は保護者(両親)とともに、31%は保護者のどちらか(片親)と一緒に暮らしています。 働く子どもの家族の平均月収の内実は、 - 非常期ビジネス活動収入−39% - 賃金−32% - 年金や補助金−10% - その他の資金収入−19% 非公認セクターで働く子どもを持つ家族のおよそ60%は社会保障制度によって何らかの補助金を受け取っています。児童労働者の家族支出の内容や総支出に占める割合をみると食料費−49%、非食料品やサービス料金−17%、質屋利子−4%、税金−7%、教育や学用品費−21%、残りの2%は医療費となっていることがわかりました。 ●職種 ウランバートルは都市部のため様々な業種が見受けられ、その多くの現場で子どもの労働が見られます。2340人(48%)は市場において、1410人(29%)は街角に移動しながら、680人(14%)は商店で働いていることがわかりました。 工場、飲食店や(およそ190人)ごみ収集場において再生可能資源収集して生計を立てる子ども(140人)は少数を占めています。それに対して、労働をする子どものおよそ半数、つまり2300人はウランバートル市の市場で働いています。彼らのうち500人は「ナラン・トゥール」市場やその周辺に小売を営み、賃貸売り場において販売するほか、食品や小物の移動販売、押し車による荷物運び、売り場の掃除、マイクロバスのコンダクター、洗車サービス、守衛、飲食店のお手伝いなどを担うなどしています。そして、およそ30%は街角で自力で仕事を生み出し働いています。また、16%は家族自営業の小売店など食品・日常用品を販売する店でおとなの手伝いをする形で働いています。 ●給料・収入 全児童の44%は単独で働いています。彼らは月に平均して25,000-30,000トゥグリグの収入を得ており、27%は雇用主と口頭契約または文書契約を結び、有給で労働をしています。50%の子どもは収入の大部分を両親や保護者に渡し、残りは自分の小遣いなどにしていることもわかりました。
働く子どもの証言:M、11歳。 バヤンズルフ地区
モンゴル語 表記はキリル文字(ロシアンアルファベット)を一般には使われていますが、民主化以降モンゴルの伝統的な縦書き表記の文字の教育がみられます。また、日本語や韓国語、英語を学ぶことにとても興味を持っている子どもたちが多くいます。
トゥグリク(Tg) 10トゥグリク≒1円
多くはチベット仏教 その他イスラム教など
4−4−3制(2005年に法改正があった)